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待ち合わせ場所は京阪三条「土下座像の前」
 高山彦九郎物語
京都紹介本のなかでも名著である奈良本辰也氏編纂「京都百話」の第一話を飾るのが、この「高山彦九郎」の話です。

高山彦九郎の像は鴨川にかかる三条大橋の東岸にあります。日中は交通渋滞する場所ですので、信号待ちをしているといやがおうでもこの大きな土下座姿に気がつきます。

しかしながら、この土下座像の人物が何者なのか京都人でも知らない人が多いのです。

京都の若者は、デートの待ち合わせ場所として「土下座像の前」というふうに表現します。
東京渋谷駅の待ち合わせ場所である忠犬ハチ公像でさえ「お座り犬像前で」とは呼ばれず「ハチ公前で」と名前で呼ばれるというのに。
高山彦九郎像がある三条大橋というのは東海道五十三次の旅の起点であり終点です。江戸から約500kmの旅をして到着するのがこの三条大橋です。
写真正面の山向こうにある大津から山越えして京都に入り、山科(やましな)、蹴上(けあげ)までくると、後は三条大橋までほぼ一直線の平坦路となります。
蹴上(けあげ)は写真正面の山の下あたりです。

旅人は、蹴上(けあげ)を越えて京の玄関である三条大橋が見えると「花の都」に無事到着したことを喜んだことでしょう。

三条大橋の西岸には、江戸後期に十返舎一九が書いた滑稽本「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次郎兵衛と喜多八の像があります。
物語とはいえ、弥次さん喜多さんもこの三条大橋を渡って京の都に入ったのです。
高山彦九郎は1744年に現在の群馬県太田市で生まれています。江戸時代中期の勤王思想家(天皇を敬う思想)で、幕末の勤王の志士たちに大きな影響を与え、明治維新を導いた人物です。

 生涯を旅に過ごし、京都・江戸・郷里を拠点に全国各地を遊歴、公家・武士(大名・家老・諸藩士など)・学者(国学者・儒学者・蘭学者など)・文化人(画家・歌人・俳人など)・剣術家・神官・商人・農民など様々な階層の人々と交流、その様子を地域の歴史・地誌・習俗・民情などとともに克明な日記に記録しています。

  参考:太田市立高山彦九郎記念館ホームページ

江戸中期、人民の天皇への忠誠心が欠けていると考えた彦九郎は、自ら模範を示すため京都に到着すると三条大橋のたもとから御所(当時は御所は京都のみ)に向かって伏し拝んだのです。

つまり、この場所から御所が見えたということです。
彦九郎像が伏し拝む方向です。目前の川端三条交差点のはるか向こうには御所ではなく大きなホテルがそびえています。
万一、このホテルがなくても御所は見えないでしょう。ただし、江戸中期頃は建物も少なく、御所が見えたのではないでしょうか。
高山彦九郎像の台座の説明文です。

江戸が終わり明治になって、日本は天皇を中心とする国になりました。しかし、天皇は京都御所を離れ東京に遷ってしまったのです。
京の都と京都御所は天皇と公家たちがいなくなり、一気に寂れてしまいました。


高山彦九郎像は第二次大戦中に金属資源として供出され、現在の像は戦後再び作り直されたものです。(東京渋谷の忠犬ハチ公
も同様)


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