京都には現在も新撰組にまつわる歴史跡が多数残っています。当時(幕末)の京都は、幕府を倒して天皇が国を治めるべきという尊皇派(長州など)と、幕府を補佐し倒幕を企てる輩(テロリスト)を検挙しようとする佐幕派(会津藩と新撰組など)の大きなグループ、外国を排除しようとする考えの攘夷派と、先進国の知識を取り込もうとする開国派など様々な思想が交錯する日本国のターニングポイントだったのです。
ここ三条大橋は、京都の東玄関口でした。この橋の西約100mのところに旅館池田屋がありました。
1864年6月5日、京都に火を放つ計画をしていた長州藩過激派が何処かの旅館料亭に集結するとの情報を得て、内偵していた新撰組(近藤勇他10名)は夜10時に池田屋に踏み込んだのです。
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