京名物 幽霊子育飴
みなとや 幽霊子育飴本舗
場所 京都市東山区松原通大和大路東入
| 京名物 幽霊子育飴の話を始める前に、この飴を売っている幽霊子育飴本舗がある場所の説明をしておきたいと思います。 この飴本舗がある場所は、かつて六波羅(ろくはら)と呼ばれた地域にあります。六波羅とは東山の麓(ふもと)の原っぱ=麓原(ろくはら)が変じたとも言われていますが、古くより京都の葬送の場所であったことから髑髏(どくろ)の原っぱ=髑髏原(どくろはら)から変じたとも言われます。 京都では死人はこの六波羅から鳥辺野(とりべの)一帯(東山山麓)か、嵐山の北(嵯峨野)に捨てて風葬にしていました。疫病や戦争などで大量の死者が出た場合は鴨川に流していました。 |
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| 現在の飴本舗は六波羅密寺のすぐそばに移転していますが、2005年ころまでは現在の場所から100mほど東の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の前にありました。 この寺は、葬送の地である鳥辺野の入口にあります。つまり、あの世の入口である六道の辻です。 この寺は盆始めには、精霊を迎える迎え鐘を引く(撞くのではなく引く)人々で夜中まで賑わいます。 つまり、この飴本舗のある場所はあの世の出入り口にあるということです。 六道=死後の世界である地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6段階、 |
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| 由来 今は昔、慶長4年、京都の江村氏が妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の鳴き声あるをもって掘り起こし見れば、亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。この児8歳にて僧となり修行怠らず成長の後、遂に高名な僧になる。寛文6年3月15日68歳にて遷化し給う。 さればこの家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。 洵に教育の上に、衛生の上にこの家の飴ほど良き料は他になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと言う。 らんすい (みなとや幽霊子育飴の添え書き) |
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| 幽霊というと不気味な話が通例ですが、この話は亡くなった母親が死後に生んだ赤子のために幽霊になって飴を買いに来たことで、赤子が救われたという話であり、その赤子は成長して高僧になったという美談なのです。 この高僧が修行したのは、北野天満宮近くの立本寺(りっぽんじ)といわれています。つまり、実話ということです。 |
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| さて、幽霊子育飴とはどのような飴でしょうか。 店には、300円と500円の包みがあります。 原料は水飴と砂糖。 色と形は写真のとおり。 昔なつかしい、べっこう飴です。 祗園の観光をされるなら、少しだけ足を伸ばして六波羅密寺まで行き、ついでに幽霊子育飴を味わってはいかがですか。旅の疲れもとれ、京都の話題が膨らみますよ。 |