化野念仏寺 AdashinoNenbutsuji
正式名称は「華西山 東漸院(かせいざん とうぜんいん)」
【発祥】
京都市西部の嵐山の北に広がる化野(あだしの)は、かつて死人の捨て場所(野ざらしの風葬)でした。
弘仁年間(801〜824)に弘法大師空海がこの場所に寺(五智山如来寺)を創建し、野ざらしの遺骨を埋葬したのが起源です。当初は真言宗。後に、法然上人が念仏道場としたことから念仏寺となり浄土宗になりました。
明治半ば、この地からぞくぞくと出土する石仏を化野念仏寺に集めて供養しました。境内には8000体もの石仏が釈迦の説法になぞらえて整然と配置されており、京都の多数の寺の中でもひときわ異彩を放っています。
毎年8月23日、24日の地蔵盆には石仏にろうそくが点灯される千灯供養が行なわれます。(往復はがきで事前申込要)
8000体の石仏が配置されている場所には【西院の河原】と立て札があります。
【賽(さい)の河原あるいは西院(さいいん)の河原】地蔵和賛
歌詞の意味を考えながら読むと、前半はなんとも悲しい内容で最後に救いがあります。
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これは此の世の事ならず 死出の山路の裾野なる 西院河原の物語
聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬみどり子が
西院の河原に集りて 父上恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は
此の世の声とはこと変り 悲しさ骨身を通すなり
かのみどり子(幼子)の所作として 河原の石を取り集め
此れにて回向(えこう)の塔を組む
一重(いちじゅう)組んでは(積んでは)父のため、 二重組んでは母のため
三重組んでは故郷の 兄弟我身と回向して 昼は一人で遊べども
陽(ひ)も入相のその頃(日没頃)は 地獄の鬼が現れてやれ汝等はなにをする
娑婆(しゃば)に残りし父母は 追善作善の勤めなく ただ明け暮れの嘆きには
酷(むご)や悲しや不びんやと 親の嘆きは汝等が 苦患受くる種となる
我れを恨むること勿れと 黒がねの棒を差し延べて 積みたる塔を押し崩す
(幼子が親の供養に造った塔を鬼が壊す)
その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出でさせ給ひつつ 汝等命短くて
冥途の旅に来たるなり 娑婆と冥途は程遠し 我れを冥途の父母と
思ふて明け暮れ頼めよと 幼きものをみ衣の 裳(もすそ)のうちにかき入れて
哀れみ給ふぞ有難き 未だ歩まぬみどり子を
錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ 忍辱慈悲のみ肌に 抱き抱えてなでさすり哀れみ給ふぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩
(地蔵が現れて幼子を救う)
【場所】地図
JR京都駅より京都バス清滝行1時間、鳥居本より徒歩5分
【写真集】
夏の化野念仏寺
化野念仏寺の紅葉(多くはありませんが綺麗です。)
8月23日の千灯供養