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7月17日午前7時過ぎ、四条烏丸交差点付近は、巡行の準備であわただしい雰囲気です。
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昨夜の宵山まで柵で囲まれていた山や鉾は、柵が取り外され出発の準備です。ここは函谷鉾です。
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辻回しに使用する竹です。
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月鉾の周囲もあわただしい雰囲気です。
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巡行経路の信号機が邪魔にならないように向きを変える作業が始まりました
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午前9時前。巡行5番目の函谷鉾(かんこほこ)に囃子方(はやしかた)が乗り込みました。正面のお稚児さん(人形)は垂れ幕で隠されています。
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交通規制が始まりました。四条通は完全通行止め。南北の烏丸通は通行可です。私の隣にいた米国人(Mr.Weber)は、なぜ完全に通行止めにしないのか?と不思議がっていましたが、私も同感でした。
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四条烏丸交差点の中心に、巡行先頭の長刀鉾(なぎなたほこ)が置かれました。正面に階段が設置されています。これから稚児(ちご)が登るのです。
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長刀鉾の後方には順番に山と鉾が並んでいます
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長刀鉾に、稚児を補佐する禿(かむろ)が乗り込んでいます。 手前の米国人は、この場所で知り合った米国人(Mr.Weber)。山鉾巡行を見て感激していました。
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取材の記者たちの頭の上に稚児が見えました。稚児は清められた存在なので地面を歩くことはできません。強力(強力)の肩に乗っています。
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稚児は強力(ごうりき)の肩に乗ったまま階段を上ります。生きた稚児は長刀鉾のみです。他の鉾は人形を載せます。
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強力は階段中央で左周りに半回転して東向きになります。
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観衆は、稚児が自分たちの方を向いて大喜びですが、稚児は、観衆を見ているのではなく、八坂神社の方角を見ているのです。
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稚児に選ばれるのは大変名誉なことですが、7月1日の吉符入り以降、母親とも離れて食事も男性たちがお世話をするという生活になります。
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長刀鉾は、鉾先に疫病邪悪を祓う長刀(なぎなた)をつけています。長刀鉾は、巡行の先頭でることが決まっています(くじ取らず)。
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いよいよ巡行の出発です。
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2番は蟷螂山(とうろうやま)です。蟷螂とはカマキリのことで、カマキリやまとも呼ばれます。
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カマキリのカマや羽、御所車の車輪が動くなど、唯一のからくりが施されています。
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3番の孟宗山(もうそうやま)です。筍(たけのこ)山とも呼ばれます。病身の母を養う孟宗が、雪の中で母が欲しがる筍(たけのこ)を掘り当てた姿をあらわしています。
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4番は山伏山(やまぶしやま)です。ご神体の山伏は、昔、八坂の塔が傾いたとき法力によってなおしたという浄蔵貴所の大峰入りの姿をあらわしています。
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5番の函谷鉾(かんこほこ)です。
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鉾の名は、中国戦国時代、斉の孟賞君が家来の鶏の鳴き声によって函谷関をあけさせ脱出できたという故事によるものです。
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6番、占出山(うらでやま)です。
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山の名は、神功皇后が肥前の国松浦で鮎を釣って戦勝の兆しとしたという故事によるもの。 前掛、胴賭は日本三景を描いたもの。
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7番、綾傘鉾(あやかさほこ)です。32体の山鉾のうち2体ある傘鉾の一つです。
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この綾傘鉾は傘鉾よりも、「棒振り囃子」が見ものです。赤熊をかぶった棒振りと囃子にあわせて踊る太鼓は見ものです。
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これが綾傘鉾(前)ですが、棒振りが目立ちます。
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綾傘鉾(後)
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8番目、伯牙山(はくがやま)です。
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名前の由来は、中国の周時代、琴の名人伯牙が友人の死を聞いて、琴の弦を断ったという故事によるものです。
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四条烏丸交差点から四条通を進む山鉾を撮影しました、年に1度しか見ることができない壮観な眺めです。
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9番、鶏鉾(にわとりほこ)です。
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鶏鉾の名前の由来は、中国尭の時代に天下がよく治まり、訴訟用の太鼓も用がなく鶏が巣を作ったという故事によりものです。
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「見送(みおくり)」のじゅうたんはトロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀ベルギー製の毛氈で重要文化財。
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10番、保昌山(ほうしょうやま)です。
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平井保昌が和泉式部のために紫宸殿(ししんでん:天皇の住居)の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。
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11番、木賊山(とくさやま)です。木賊とは細い棒状の草で竹のような節ががる植物です。爪を研ぐことができるほど硬いことから「研ぐ草」→「とくさ」
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木賊山は、わが子をさらわれて信濃の国伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわしています。
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再び四条通を撮影。四条河原町で辻回しが行われるため、進行はゆっくりです。
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12番、油天神山(あぶらてんじんやま)です。
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油小路通にあり、朱塗りの社殿に天神像を安置しています。
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13番、菊水鉾(きくすいほこ)です。
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町内にあった菊水井戸にちなんで名づけられました。
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菊水鉾の屋根に乗る「屋根方」。
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14番、郭巨山(かっきょやま)です。
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中国の郭巨が黄金の釜を掘り当てて母に孝行を尽くしたという故事によるもの。
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15番、四条傘鉾(しじょうかさほこ)です。
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綾傘鉾と同じ形態の傘鉾です。棒振りは子供8人が演じます。
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16番、霰天神山(あられてんじんやま)です。
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京都に大火があったとき、霰(あられ)が降り猛火が消えたが、そのとき降ってきた天神様を祭ったもの。
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17番、月鉾(つきほこ)です。
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月鉾は、32の山鉾のうち最も大きく重い鉾です。
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18番、白楽天山(はくらくてんやま)です。
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唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うたところをあらわしています。
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19番、芦刈山(あしかりやま)です。
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故あって妻と別れ、難波の浦で芦を刈る翁が、妻と再会を果たす姿をあらわしています。
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20番、太子山(たいしやま)です。
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聖徳太子が四天王寺建立に当たり、自ら山中に入り良材を求めた所伝により聖徳太子を祀っています。
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21番、放下鉾(ほうかほこ)です。名前は鉾の天王座に放下僧を祀るのに由来しています。
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22番、岩戸山(いわとやま)です。曳き山です。
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名前の由来は天照大神の岩戸隠れの神話です。 鉾と曳き山の違いの一つは、写真のとおり、山は柱が枝の張った松の木です
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岩戸山の車方(くるまかた)です。
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23番、船鉾(ふねほこ)です。
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神功皇后の説話によって鉾全体が船の形になっています。装飾も見事です。
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24番、北観音山(きたかんのんやま)です。
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楊柳観音像と韋駄天像を安置する曳山です。
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これも山なので松の木が立てられています。
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25番、橋弁慶山(はしべんけいやま)です。
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弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわしています。
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今年はNHK大河ドラマ「源義経」もあり注目です。
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26番、浄妙山(じょうみょうやま)です。
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宇治川の合戦で、三井寺の僧兵筒井浄妙と一来法師の奮戦の一瞬をあらわしてしています。
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27番、鈴鹿山(すずかやま)です。
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伊勢の国鈴鹿山で、人々を苦しめた悪魔を退治した鈴鹿権現を女人の姿であらわしています。
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28番、八幡山(はちまんやま)です。
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八幡宮を山の上の勧請したものです。
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29番、鯉山(こいやま)です。
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中国の龍門の滝を登る鯉の勇姿をあらわしています。
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前掛、胴掛、見送などの「イリアッド」物語を描いた毛氈は重要文化財です。
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30番、役行者山(えんのぎょうじゃやま)です。
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修行道の祖、役行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に石橋をかけたという伝承によるものです。
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31番、黒主山(くろぬしやま)です。
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歌人大伴黒主が桜の花を仰ぎ眺めている姿をあらわしています。
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32番(最後)は南観音山(みなみかんのんやま)です。
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楊柳観音像と脇侍の善財童子像を祀る曳山で柳枝をつけています。
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